経営者さんを笑顔にしたい

その会社で働く従業員さんを笑顔にしたい

その従業員さんの家庭を笑顔溢れる家庭にしたい

取引業者さんも、お客様も、みんなを笑顔にしたい

最後に当社もどんどん笑顔になりたい

2011年に創業して13周年を迎えました。これまで数百社の経営相談を行い、本格的な企業再生、事業再生、経営コンサルティングに携わった会社は60社以上。皆さんに笑顔を取り戻してきました。これまで携わった会社の7、8割は再生案件。必死に相談に来た会社の未来を考えました。現在のコンサルティングの仕事をする前は、経営相談に来られる経営者の皆さんと同じように経営に困り、将来の事なんて考えられませんでした。だから、皆さんの悩みが痛いほどわかります。お気軽にお声がけください。話すだけでも頭の中がすっきりすると思います。

「正しい事を正しい方向に向かって行えば、必ず道は開けます」

国内消費の冷え込み、インフレ、仕入れ原価の上昇、間接的増税、人手不足など業界を囲む環境は年々厳しさを増しています。しかし、どんな業界でも厳しさの中に、活況を続ける企業は必ずあります。そんな企業も昔は「困った、困った」と言っていたかもしれません。困った顔をしていても、何も解決しません。落ち込む気分であれば、落ち込むだけ落ち込みましょう。そして、大きな声で笑いましょう。笑えないのであれば、私が笑わせて見せます。そして、明るい未来について語りましょう。必ず道は開けます。

コンセプト創造研究所 代表 伴 智之

代表者経歴

大学時体育会系運動部に没頭。2年終了時に退学し米国留学へ。UCサンディエゴ大ビジネススクールESL等を経て、音楽配信会社MP3.COM社入社。帰国後、東証一部上場企業ドン・キホーテの複合商業施設事業に入社。東日本責任者を経て退社後、実家である老舗旅館伴久ホテルに入社。営業責任者としてじゃらん売上全国トップ5入りなど達成。2011年より当社を起業し全国の旅館ホテルを支援。2020年度からサービス業分野、飲食業分野へのコンサルティングを開始。

1999年~2001年米国カリフォルニア州サンディエゴ郡 UCSD留学
半年間の語学学校プログラムを修了し、カリフォルニア州立大学サンディエゴ校付属校のビジネスコースに入学。そのプログラムでの企業訪問でMP3.COMへの入社を直訴し、入社。
留学テーマは、『20年後の日本を自ら見て感じる米国留学』。

2000年~2001年米国音楽配信発祥の会社 MP3.COM
ビジネススクールの隆盛企業訪問でMP3.COM社日本進出のサポートをその場で直訴し、翌日同社入社。サイト構築と翻訳、メールマガジン発行の業務を担当。
MP3.COMとは、ピーク時には登録ユーザー2500万人という有名サイトで、毎日400万以上のMP3ファイルを80万人以上のユニークユーザーに提供。音楽配信の祖。ハイブリッド・セオリー時代のリンキン・パークやデヴィッド・ボウイも楽曲提供していた。

2001年~2005年東証一部上場企業 株式会社ドン・キホーテ
ドン・キホーテの新規事業24時間営業型複合商業施設『PAW(パウ)』の特別編成チームとして入社。
第一号店のPAWかわさきを皮切りに3年間全国22店舗の新規出店サポート及び、東日本エリアテナントリーシング責任者と既存ドン・キホーテ店舗のテナントリーシング東日本全域責任者を兼任し、経常利益1億5千万達成。
以前より再三の申し出があった家業応援の為に退社。

2005年~2011年栃木県湯西川温泉伴久ホテル
営業集客責任者を担当。【じゃらん全国順位を7000位から2年でトップ5入り、某大手募集旅行社の宿泊施設部門全国1位、新聞掲載系旅行会社全国3位の実績】を達成。過去の強みを活かし経営、営業、オペレーション、ネット、金融機関対応を行う。しかし、V字回復2年目に東日本大震災が発生し、2万人の宿泊予約キャンセルが発生し、倒産。

2011年独立開業 株式会社TRIM(現在株式会社BAN DIEGOに社名変更)
旅館経営時に金融機関から派遣されたコンサルティング会社の仕事を見て、「この程度の仕事なら自分がやった方が結果が出る」という思いがあり、実家の宿が倒産後に起業。(開業1年~2年目は正直なところ、全然がお客さんが来ませんでしたが、各地で勉強会やブログ、SNSをコツコツ更新していって3年目から軌道に乗り現在に至ります。コツコツが大事です。)

私のバックボーン

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「私は栃木県日光市にある老舗旅館伴久ホテルの次男として生まれました。私が幼い頃は宿はまだ小さく、お客もまばらでした。冬は大変雪深くなる地域の為、お客さんは皆無でした。」
私が経営相談にお越しになった方に自己紹介をする時は、こんな感じで話し始めます。
なぜ私がコンサルタントになったのかを説明するには、私のバックボーンをお話しなければいけません。
そんな幼少期は「旅館が実家」という代表的な家庭だったと思います。当然学校から帰っても家には誰も居ませんし父や母はお客様の到着で駆けずり回っていました。唯一面倒を見てくれるのは、館内の様々な雑務全般をみてくれていた知的障害のある方でした。その方は私が乳飲み子の頃から面倒を見てくれていて、母が宴会場でおんぶ出来ない時は、彼がよくおんぶしてくれたそうです。
私の遊び場はいつも旅館でした。友達が遊びにくると露天風呂に入って、お腹が空くと調理場に行ってスズメの姿焼きや山椒魚の乾燥させたものを食べていました。それが、山奥の旅館だったので当たり前の郷土料理でした。

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その後大学に入学しましたが、私が求めるものは見つからず2年で中退し、単身渡米しました。目的はもちろん語学習得もありましたが、アメリカの社会を見てくるのが一番大きな目的でした。
小さい時から父より日本はアメリカの20年から30年遅れている。アメリカを見てくれば日本の20年、30年先が見えてくると、教え込まれた影響かもしれません。現地では様々な種類の学校に入りましたが、最終的に行き着いたのは、ホスピタリティを学ぶビジネススクールでした。全く意識はしていませんでしたが、旅館業に通じるクラスを受けたのは、血なのかもしれません。
その後、日本に戻った私は、東証一部上場企業のドン・キホーテに入社することになりました。元々、アメリカでMP3、COM社でHP制作などの仕事をしていましたので、ネット関連を探していましたが、ネット関連の会社は語学力や私のMP3.COMという経歴を評価してくる会社はありませんでした。ドン・キホーテは大変面白い会社でしたので、入社を決めました。
ドン・キホーテでは、24時型の新しいショッピングモールを作るというプロジェクトで入社しました。小売業はもちろん、不動産、会社組織論、会社統治法、購買心理学、社内活性化など多くを学ばせて頂きました。まるでMBAの授業が目の前で行われているかのような会社でした。今でもドン・キホーテや会社上司、同僚の皆さんには最大の尊敬をし、大変感謝しています。

私の大きな転機の一つは、ドン・キホーテを辞めて実家の旅館に戻ったことだと思います。丁度その頃、実家の宿では度重なるアクシデント(ピーク時の台風直撃等)で客単価が下がり、売り上げ改善を望んでいて、そこにドン・キホーテで営業を行っていた私に声がかかりました。私としては次男ということもあり実家には一切係わらず、一人で成り上がっていこうとサラリーマンをしていた訳ですが、これまで散々世話になった親から言われては、断れませんでした。今考えますとこの時の決断は間違っていなかったと思います。

実家に戻った私は営業部門を管理する東京営業所に配属されました。最初の約5年間、主な業務は顧客データ登録、会計業務、予約業務全般でした。営業を希望して実家に戻ったのですが、経験の少ない事務作業ばかりで苦労しました。しかし、この経験が今日コンサルタントとしての私を助けてくれています。年間平均30%を超えるリピート率を支える顧客管理(盆正月等はリピ率80%オーバー)。お金の流れ。年間8万人超の宿泊客の窓口である予約、どれも他社では経験できないものばかりです。そんな中、銀行とのやり取りの中で外部コンサルティング会社を導入することになりました。

役員の中では導入に反対する意見が多数でしたが、金融機関の圧力で導入することになりました。契約期間は6カ月、費用は1000万円。信金繰りに困っていた最中ですが、絞り出して払いました。初めて触れる「コンサルティング会社」の人達は、予想を超える人たちでした。口から出てくる言葉は横文字が多く、留学経験のある私でも、そんな和製英語は知らないと思うことが多々ありました。データを収集し分析してもらい報告書と分厚い改善計画書を作って頂きました。内容は、自分達の目線ではこれまで調べる事ができなかったデータや他館や全国データなど広域に渡るもので、大変参考になった記憶があります。ただ、費用対効果は正直感じられませんでした。

コンサルティング会社とは、その後数社と出会いました。どの会社も経歴は素晴らしく期待できる雰囲気はありましたが、いづれも同じ印象が残りました。それは、「本当に旅館(現場)を知っているのかな? 経営者の立場でものを考えてくれるのかな?」という事です。頂くアドバイスはお客様視点の最もなことばかりですが、実際に業務に落としこむ際の「Do(ドゥー)」を語れる方は居ませんでした。PDCAサイクルは、分かりますが、P(プラン)だけでは、CAまで行き着きません。

そうこうしている内に、2011年3月11日を迎えます。東日本大震災の影響で見込み客を含む約2万人の予約がキャンセルとなり、結果旅館を閉めるという事となりました。
293年も続いてきた宿を閉める事は苦しい事でしたが、それ以上に共に働いていた社員や取引業者の皆様に迷惑かけてしまった事を悔いて止みません。
宿を閉めた後、一度は普通の会社に就職しようと考えていましたが、本当にしたい仕事は見つかりませんでした。そこで「自分にできる事は何か?」を考えた時に出てきたのが、過去数年で学び身に付けた能力で、自分と同じ様な境遇にある宿を一軒でも多く手助けしたいと考えました。そして、今日に至ります。私のコンサルティングのベースにあるのは、海外留学経験やドン・キホーテでのニューアイデアの創出や営業経験です。当社とご契約いただく多くの宿の皆様から他社との違いを指摘頂いており、またそのお宿様からその違いや私のバックボーンをHPを見ている方々に説明した方が良いとのご意見を頂き掲載しております。

■当社支援実績(2024年11月時点)
・過去9年間の支援社数 61社(宿以外7社)
・過去の支援期間 8ヶ月~10年1ヶ月

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